読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

副詞

日記

小学校の時は不登校をキメ家庭では話せるけど学校では頷くか首を振るか以外の意思疎通ができなく、中学校ではまたもや不登校をキメ一言二言話せるようになったけど先生に向かってタメ口などを話し(後半ころに敬語でも話せるようになった)、高校では誰ともかかわらずに無言をキメ周りから嫌われていた最終学年で不登校をキメた。周りから疎まれたり嫌われたりしていたので勉強マシーンになった。偏差値が30程度の高校で60前後を維持し、大学には合格できた。
しかし大学ではいままでやってこなかったコミュニケーションが仇となり人と関わることができなかった。全然、全然、できなかった。最初は近寄ってくれる人もいたけれど私の無言に辟易して去っていった。
それでも授業は毎回受けて単位は取っていった。しかし3年後半の実験のグループ授業で心壊されることとなった。
授業前は動機が止まらない。授業中も指示を出してくれないとうまく動けない。つねに緊張し続けてないといけない。指示がなくてぼーっと他の人が実験してるのを眺めてて苦痛だったこともあった。私も使いたいからデータ移させてって言えなかった。
グループがなんとなく決まったんだけど他のこのグループの二人が別のグループに行ってしまって私一人ぽつんと残された時もあった。
研究室配属されてもそこで研究室不登校になった。先輩とかいう敬っていいのか親しくしていいのかわからない存在が恐ろしかった。
卒業して入った会社も半年休職した。
私は社会のアウトローである。
最初に不登校になった理由はもうわからない。けどなんとなく行きたくなかったんだと思う。実際不登校にならずに学校行き続けていたとしても何かしらの問題が起こって結局不登校になっていたんじゃないかと思う。
不登校で人と話せない異常さを持っていたのに親は病院とか診断に連れて行ってくれなかった。結局、自主的に大学のカウンセラーと精神科医に行ってテスト受けて障害を持ってるという診断を受けた。
いままでの他の人とは違った異常性について伏線が回収された瞬間であった。
私は障害者なんだ、コミュニケーション障害者なんだと思って障害者手帳を取得。障害者雇用にて労働して今に至る。
障害があるってわかって、そうか私のコミュニケーション下手なのは障害によるものだったんだ。と納得したけれど、最近は健常者に対するルサンチマンを感じる。
障害者手帳で映画も水族館も美術館も動物園も割引だ。障害者は給与が低いか年金に頼った暮らしをしているのでそのような措置があるのだろう。
けど、私は健常者として生まれてきて健常者らしく生活してお金稼いで健常者らしく正規料金払える身分になりたかったよ。
割引されるメリットと障害者であるデメリットを比べればデメリットの方が上だ。

友達がずっといない人生だった。小中高はもちろん不登校でいなかったし疎外されてたし、大学も最初は話しかけてくれた人がいたけれどコミュ障で裏切ってしまった。
私は友達のいないさびしい人間である。人との関わりがないのである。さびしい人間はさっさと自殺してしまったほうがいいのではないかと思う。悲しむのは親くらい。親に対してはよくも産んでくれたなという恨みしかない。私が死んで親が泣いたり喚いたりしても知るか。こんな欠陥品を産んだ責任だぞちゃんと負えよ。
自殺の方法わからない。確実に死ぬ高齢者自殺者の人だと首吊りがメインらしいけどそんなうまく首の血管に縄がハマってくれるのだろうか。
自殺の方法がわからないからとりあえず生きてる。

才能とか技術力でぶいぶいいわせる職場に入れたら幸せなのかもしれない(相手が私のことを見下すなら私もそういうことで見下してやれ)(才能とか技術力あるの??)。けどそういうところは残業多いらしいしそういうところで本当に死んでしまうかもしれない。定時で帰れる今だって限界なんだ。やっぱり残業をかるがるとこなせる健常者になりたいです。